巨大包囲網とは?

付け城と土塁により三木城を包囲し、兵糧が入ることをシャットアウトした「干し殺し」について、なるほどと思う一方で、ほんとにこの「土塁」が、人っ子一人入れないような防御壁だったのだろうか?という「いぶかり」も出てくるわけです。

では、人っ子一人入れないような防御壁とはどんなであれば、そうなるのかと考えたときに「なるほど」と膝を打ちました!!

「土塁」とは、防御壁の「基礎」だったのではなかろうかという半ば妄想めいた「仮説」が思い浮かんだのです。

そう、この「土塁」の上に「板塀」が築かれていたとしたら、確かに、兵糧はもちろん、人っ子一人入れない。

面白くなって、市史編纂室の廣井さんに電話してみました。

お忙しいにもかかわらず、お時間を割いて教えていただきました。

付け城の周囲の土塁からは確かに板塀があったのではないかというような痕跡は残っているんだけど、付け城を繋ぐ土塁からはその痕跡は見つかってない。
でも、見つかってないからなかったと結論づけるのではなく、時がたち風化して無くなったのかもしれないから、ひょっとしたらあったかもしれないよ。

そこから話が「発掘」に発展しました。
「発掘」は、「仮説」の「検証」ともとれる作業なんだよということです。

国指定史跡となっている「付け城」や「土塁」ゆえ、好き勝手に掘ったり埋めたりは出来ないかもしれませんが、もし、発掘調査をする時があったら、そんな「仮説」の「検証」の機会ということになります。

今は、あくまでも「仮説」レベルですが、兵糧を断ち切るのに、「板塀」に囲まれた三木城包囲網が作られていたというそんな想像図が僕の頭の中に描かれています。

もしそうなら、ほんとに壮大なスケールでの包囲網により、「干し殺し」が行われたんだな~と思いを馳せました。

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