淡墨桜(うすずみざくら)と志染に伝承の二皇子の物語
散り際には花びらが淡い墨色へと変化する特徴があるそうです。今がその時でしょうか。
2004年、志染にある史跡「志染の石室(いわむろ)」近くの斜面に、市制50周年を記念して植樹したのがはじまりです。
なぜここに?なぜ淡墨桜?と「?」がとぶと思います。
まず、志染の石室なんですが、ここは約1600年前、億計(オケ:後の仁賢天皇)と弘計(ヲケ:後の顕宗天皇)の二皇子が継承争いから逃れて一時隠れ住んだといわれているところです。
このお話は、日本書紀や播磨の国の風土記にも記載があります。
さて、弘計の子どもといわれている継体天皇は、岐阜県本巣市(もとすし)で桜を植えたそうなんですが、それが、淡墨色桜で、樹齢でいうと1500年余りとなるそうです。
一本桜で、「根尾谷淡墨ザクラ」と呼ばれています。
この歴史的な経緯を知った「うすずみ桜想会(おうそうかい)」のメンバーは、本巣市の住民が育てた淡墨桜の苗を譲り受けて植樹したということです。
1メートルほどだったという苗木は、いまや10メートルを超えるまでに成長しております。
斜面地のため、草刈りなど管理が大変そうです。
撮影日:2021年3月24日
場所 :志染の石室(いわむろ)手前
三木桜アルバム2021